岡本太郎記念館

『TARO賞20年/20人の鬼子たち』

展示期間:2017年3月12日(日)〜6月18日(日)

  岡本太郎を失ってひとりになったとき、ぼくたちの心配をよそに、岡本敏子は気丈でした。太郎を次の時代に伝えるのが私の仕事。そう言って、すぐさま行動を開始します。
 真っ先に取り組んだのが記念館の開設とTARO賞の創設でした。このふたつを実行するために財団法人を設立し、あの小さい体で残された9年を駆け抜けたのです。
 こうして生まれたTARO賞も、おかげさまで20年を迎えました。敏子が手づくりではじめた小さな試みが、いまでは現代芸術のアワードとして広く認知されるまでになりました。
 第20回までの入選者はじつに410名(組)に上ります。なにより嬉しいのは、入選作家たちがその後めざましい活躍を見せてくれていること。それがこの賞の意義と価値を支えているのだと思います。
 TARO賞20年を記念して、〝20人の鬼子たち〟が一堂に会する展覧会をつくりました。いずれも一筋縄ではいかない作家たちですから、立ち現れるのはカオスでしょう。
 唯一無二の濃密なアート空間をどうぞご堪能ください。

岡本太郎現代芸術賞20周年記念展実行委員会
椹木野衣 北條秀衛 山下裕二 和多利浩一
/平野暁臣



参加作家:(50音順)
宇治野宗輝/梅津庸一/大岩オスカール/オル太/風間サチコ/加藤翼/加藤智大/金沢健一/キュンチョメ/斉と公平太/サエボーグ/関口光太郎/天明屋尚/東北画は可能か?/ながさわたかひろ/西尾康之/村井祐希/山口晃/吉田晋之介/
若木くるみ

『舘鼻則孝 呪力の美学』

展示期間:2016年11月3日〜2017年3月5日

 私にとって岡本太郎という人間は、まやかしとでも思い込みたくなるくらいに納得のいかない孤高の存在だ。太郎は生涯自らの手で作品を売らなかった。社会を拒むという行為自体が太郎にとって全力で社会へ干渉するとい う行為でもあった。聖地とも呼べる記念館で展覧会を開くということは、私にとってのプリミティブ・アートの 象徴とも言える太郎へのオマージュであり、過ぎ去ろうとしない時代を見つめ直す機会ともなった。自分自身に 〝マジナイ〟をかけ外界からの理解を拒んだ作品群をご覧いただきたい。

舘鼻則孝



  世界が注目するアーティスト舘鼻則孝はまだ30歳を超えたばかり。卒業制作の〝ヒールレスシューズ〟がレディー・ガガの目にとまり、一躍アートシーンに躍り出たことで有名だが、単に才能があった、運が良かったと片づけるのは間違いだ。
 世界に通用するファッションデザイナーになりたい。高校時代にそう決意した舘鼻は、東京藝大で染織を学び、「和装」の技術と思想を血肉化する道を選んだ。ふつうなら服飾専門学校を経て海外に飛び出すラインをイメージするところだが、あえて通例に背を向け、逆張りに自分を賭けたのだ。「どうすれば世界と闘う武器を手にできるか」を考えた末の行動だった。
 高校生の頃からコムデギャルソンに通いつめて8年がかりでプレゼンテーションのチャンスをつかみ、ヒールレスシューズを売り込むために膨大なメールを世界中にばら撒いた。
 舘鼻則孝を支えているのは創造的な野心であり、戦略的なヴィジョンと戦術的なアクションがそれを駆動している。メンタリティは「血ヘド吐いてもがんばります」型根性主義の対極にある。
 ロジカルな思考と情熱的な行動。それが力の源泉なのだ。
 岡本太郎もおなじだった。思いつきと衝動で動く〝芸術家肌〟の典型と思われがちだが、まったくちがう。パリ大学で哲学と民族学を学び、抽象芸術運動の胎動に立ち会った太郎の思考はきわめて論理的だ。太郎のすごいところは、考えるだけに終わらず自ら情熱的に行動したこと。太陽の塔を見ればわかるだろう。
 世界を目指すために岡本太郎はパリに行き、舘鼻則孝は日本に残った。選択は真逆だが、腹のくくり方はおなじだ。常識や標準を疑い、己れの信念だけを頼りに針路をとると決めている。エンジンはプライドと絶対感だろう。
 太郎との対峙にむけて舘鼻則孝がつくりあげた新作の数々をぜひご覧いただきたい。とりわけ創造的な世界に生きようとする若い世代に、彼の腕っぷしの強さを見て欲しい。
 これからのクリエイティブを考えるうえで最良の〝生きた標本〟がここにいる。

岡本太郎記念館 館長 平野暁臣

『岡本太郎の沖縄』

展示期間:2016年7月6日〜10月30日
協力:(株)沖縄テレビ開発、永田 砂知子

 1959年11月、岡本太郎は返還前の沖縄にはじめて降り立ちます。
 久しぶりの骨休め。筆記用具を肌身離さずもち歩いていた敏子が、このときばかりはノートももたずに出かけました。ところが到着した途端にバカンス気分は吹っ飛びます。目の前に広がる光景があまりに刺激的だったからです。
 そこで太郎が見たものは、現代人がどこかへ押しやり、失ってしまった日本でした。
 「忘れられた日本」、そして「ほんとうの日本」。
 清冽に生きる沖縄の人々に、日本人の、そして自分自身の根源を見たのです。さぞ嬉しかったにちがいありません。
 震えるほど感動した太郎は、夢中になってシャッターを切りました。直感と感動だけを頼りに、対象にギリギリっと寄って、バシャバシャっと撮る。太郎がのこした写真の数々には〝岡本太郎の眼〟が定着しています。
 このとき太郎が切り取った沖縄を見てほしい。太郎の感動を追体験してほしい。それが本展の動機です。太郎が撮影した写真とともに、当時の貴重な記録映像をご覧いただきます。
 「これこそ、オレたち自身なんだぞ、日本そのものなんだぞ」
 岡本太郎はそう言いました。
 岡本太郎が見た沖縄をどうぞお楽しみください。

『生きる尊厳ー岡本太郎の縄文ー』

展示期間:2016年3月2日〜7月3日
協力:國學院大學博物館

 1951年11月、岡本太郎は“生涯の友”との運命の出会いを果たします。戦後日本での活動再開から5年、上野の東京国立博物館でぐうぜん目にした縄文土器でした。

「驚いた。こんな日本があったのか。いやこれこそが日本なんだ。身体中の血が熱くわきたち、燃えあがる」

 奔放、躍動、破調、ダイナミズム、アシンメトリー…。その荒々しく不協和な造形には、自然を敬い、自然を畏れ、自然と溶け合いながら生きた縄文人たちの精神が刻印されていました。
 獲物を追い、闘争する狩猟の民がもっていた原始のたくましさと豊かさ、ふつふつとたぎる生命力。わびさび型の日本の伝統美とは真逆の美意識を見出した太郎は、これこそが〝オリジナルの日本〟〝失われてしまった日本〟なのだと直観します。
 太郎にとって縄文との出会いは日本の発見であり、自分自身の発見でした。ついに戦友が現れた。そう思ったことでしょう。太郎は、考古学に幽閉されていた縄文を芸術の世界に解放しただけでなく、自らの人生観・芸術観の核にセットします。
 岡本芸術とは縄文精神の発露である。そう言い切って差し支えないとぼくは考えます。
 岡本作品と縄文土器を同じ空間で体感して欲しい。そうした思いからこの展覧会を企画しました。キュレーションは、縄文と太郎を同時並行で研究している國學院大學博物館学芸員の石井匠氏。「明日の神話」再生プロジェクトの一員として壁画修復にもあたった男です。
 当記念館ではじめての縄文展。どうぞお楽しみください。

岡本太郎記念館 館長 平野暁臣



 失われた過去の記憶――縄文時代。岡本太郎が歓喜した縄文土器は、縄文人が日常的に使った土鍋である。彼らの鍋料理に必要なのは、鍋と水と火、狩猟採集漁労でえた山野河海の幸、炉石、薪だ。
 縄文人にとって動植物や自然物、人工物は、単なる料理の具材、資源、道具ではない。すべてが、かけがえのないイノチ。本来、食事とは、イノチがイノチを懸けてイノチを奪い、イノチを食らうことで混じり合う、厳粛で神聖な儀式である。
 〝いのちの交歓〟――太郎にとっての〝縄文〟は、他のイノチと文字どおり混じり合い、共に生きることである。彼は〝生きることは芸術である〟と言う。いのちと交歓する生と死の営み。それが岡本芸術なのだ。
 日本列島の土器出現から16,000年後、太郎は縄文土器といのちの交歓を果たした。〝非情なアシンメトリー〟に彩られる縄文という盟友をえた彼は、稲作農耕を基盤とする〝弥生〟という〝シンメトリカルな形式主義〟をぶち破る闘いにうって出る。
 自然を管理するシステムを備えた稲作。そのはじまりこそが〝第一次産業革命〟だ。それが現代に蔓延する陰湿な日本的ムードを生みだした。人間と自然を分離し、効率的に自然を管理しようとする人間中心の社会では、いのちの交歓は絶たれ、生命力は去勢される。さらなる縄文が必要だ。彼はそう考えた。
 太郎は世界の奥底にうごめく縄文を求めて旅にでる。沖縄の聖地・御嶽(うたき)との出会いは宿命的だった。石と樹しかない、神と人が交歓する空間に漂う〝なんにもないキヨラカサ〟は、縄文土器と同質の〝生命の共感〟を彼の心に呼び覚ました。
 泥沼の闘いを強いられる日本において、岡本太郎という名の男に課されたミッション。それは、己のイノチと引き換えに、泥の中から忘れられた日本を奪還し、〝生きる尊厳〟を現代人にとり戻すことだった。
 岡本芸呪術の錬金術的方程式は「己×縄文=いのちの創造」である。
 あなた×縄文は? 答えは、あなた自身の中にある。

國學院大學博物館学芸員/岡本太郎記念館客員研究員  石井 匠



※本展会期中には、第18回岡本太郎現代芸術賞で太郎賞を受賞したYotta(ヨタ)と、敏子賞を受賞した久松知子の特別展示も行ないました。

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Taro Okamoto Memorial Museum