岡本太郎記念館

『透明な怒り』

2007年11月7日~2008年1月14日

普段は陽気でユーモラスな岡本太郎も、物事の本質的なゆがみやそれを 生み出す人間の卑しさに対しては徹底して怒り、その怒りをさまざまな表現を通して社会に投げ掛けました。 有名な『殺すな』の文字や『明日の神話』をはじめ、太郎の作品や文章には、怒りをモチーフにしたと思われるものが 数多く遺されています。

しかし、岡本太郎の「怒り」は、必ずしも目をむいた恐ろしい形相をしているわけではありません。 『明日の神話』に、哄笑しながら悲劇を乗り越える誇らかな人の姿が描かれているように、単なる憎悪や私怨のレベルを はるかに超える次元に立っているのです。

「透明な怒り」。太郎の怒りはそう表現されるべきものかもしれません。

怒りという感情がもつ人間本来の豊かな感受性のぶつかりあい、みずみずしさを失いつつあるかにみえる今日、 太郎の怒りは我々に多くの示唆を与えてくれることでしょう。ともに太郎の「透明な怒り」を感じたいと思います。

また、本展では第10回岡本太郎現代芸術賞「岡本敏子賞」を受賞した菱刈俊作氏が、太郎とのコラボレーションを テーマにした新作を発表します。どうぞご期待ください。

『電撃』とその時代

2007年8月1日~11月4日

 昨年11月、アトリエの整理をしていたぼくたちの前に『電撃』は突然その姿を現しました。なにも描かれていないキャンバスに巻かれ、棚の奥にひっそりと眠っていたのです。描かれたのは1947年。退色した絵ハガキがわずかに1枚残るだけの “幻の作品”でした。
 1947年とは中国から復員した太郎が上野毛のアトリエで作品制作を再開した年。パリから戻り「絵画の石器時代は終わった」と言い放った太郎が、戦後の日本で既成の概念や権威との戦闘を開始した記念すべき年です。

 『電撃』は同年制作の代表作『憂愁』『夜』とともに岡本芸術初期の最重要作品であり、日本で闘う覚悟を決めた太郎が戦後最初に描いた作品のひとつです。このたびようやく修復を終え、当時の姿そのままにご覧いただくことができるようになりました。

 また併せて、『電撃』と同時期に発見された若い女性のデッサン画も初公開します。モデルもタイトルも制作年もわかりませんが、その姿は間違いなく若い頃の岡本敏子です。おそらく『電撃』を描いた上野毛時代のものでしょう。

 デスマスクや軍隊時代などわずかな例外を除いて写実的な人物画を描くことをしなかった太郎にとってこの作品は特別な意味をもっているはずです。いままで知らなかった太郎が見つかるかもしれません。

 岡本芸術の第二の出発点となった「『電撃』とその時代」をどうぞゆっくりとご覧ください。

『タナカカツキの太郎ビーム!』

2007年4月26日~7月29日

ゲストキュレーターシリーズ最後を締めくくるのは、太郎と敏子を最もよく知る男・山下裕二。著書『岡本太郎宣言』で世間を騒がせた当代随一の美術史家が仕掛けるのは、独自の美意識で新たな表現世界を切り拓く孤高のアーティスト・タナカカツキと太郎とのコラボレーションです。文字通り、太郎とカツキとの「合作」が実現しました。
かつて例のないこの冒険的な試みを存分にお楽しみください。

『見えない地平線を探して』

2007年1月27日~4月22日

ゲストキュレーターシリーズ第二弾。今回腕をふるってくれたのは現代美術の世界に新しい風を送り続けるワタリウム美術館キュレーターの和多利浩一さん。伊藤存さんという若いアーティストを太郎にぶつけてきました。記念館に太郎以外の作家が登場するのははじめてのこと。どんな世界が立ち現れるのか、どうぞゆっくりとお楽しみください。

『太郎の中の見知らぬ太郎へ』

2006年10月18日~2007年1月21日

ゲストキュレーターによる企画展のシリーズは岡本太郎を語るに相応しい方々に企画展示のキュレーションをお願いし、自由に太郎と遊んでもらいます。
初回のキュレーターは、美術評論の第一線で活躍する椹木野衣さんです。
『太郎のなかの見知らぬ太郎へ』と題された試みは、創造的な刺激に満ちています。誰も見たことのない “新しい太郎” をどうぞゆっくりとお楽しみください。
「敏子が太郎を語る場所」から「みんなで太郎と語る場所」へ。 新しい岡本太郎記念館にどうぞご期待ください。

『明日の神話 』再生への道

2006年7月6日~10月15日

多くの皆さまの情熱に支えられ、『明日の神話』がついに再生しました。岡本太郎の強烈なメッセージが、時空を超えていまを生きる私たちに届こうとしている のです。この展覧会は、汐留での一般公開にあわせて、当財団が進めてきた『明日の神話』再生のプロセスをたどります。実際に使われた修復資材をはじめ、メ キシコでの解体から愛媛での修復に至るまで、こ のプロジェクトの裏側を生々しく伝えます。岡本敏子が「人生最後の仕事」と情熱を傾けていた『明日の神話』修復の全貌をどうぞご覧ください。

『岡本太郎のグラフィック』

2006年4月5日~7月3日

岡本太郎の表現世界のひとつにグラフィックデザインがあります。ポスター、トランプ、振り袖、時計、ネクタイ、タペスト リー・・・・。太郎は巨大な飛行船からマッチ箱に至るまで、相手を選ばずありとあらゆるものに命を吹き込みました。あまり知られていませんが、今はなき近 鉄バッファローズのマークも太郎がデザインしたものです。今回の展覧会は、『岡本太郎のグラフィック』と題して、太郎が遺したグラフィックアートの世界を 概観します。芸術家・岡本太郎のもうひとつの貌をお楽しみください。

『岡本敏子のメッセージ -2』

2006年1月5日~4月3日

『岡本敏子のメッセージ -1』

2005年10月5日~12月26日

1998年 、岡本敏子は太郎と共に暮らし闘ったこの場所を岡本太郎記念館として開放しました。アトリエやサロンなど、太郎の気配が漂う空間をそのまま残す一方で、特別展示室では7年の間に30回もの企画展を送り出しました。
30の企画展……、それは敏子が太郎を見つめる30の視線を体現したものです。この展覧会は、これまで当記念館で開催された30の企画展を振り返り、敏子のコンセプトと展示作品とを一堂に会することで、敏子の視線、敏子からのメッセージを追体験しようとするものです。
敏子が多彩な切り口で見せてくれた多面体・岡本太郎をどうぞお楽しみください。

『岡本敏子の60年』

2005年7月9日~10月3日

4月20日、前館長・岡本敏子が急逝しました。あまりに突然の、そしてみごとな、彼女らしい最期でした。
『私は岡本太郎と共に五十年走ってきた。自分らしくとか、何が生き甲斐かなんて考えてるヒマはなかった。十分に、ギリギリに生きた。極限まで』
その言葉の通り、彼女は岡本太郎と50年にわたって並走し、その後も10年間太郎のために走り続けました。今回の企画展は、敏子追悼の意味を込めて、岡本敏子の60年を振り返ります。
先日行われた葬儀に代わる『岡本敏子と語る広場』の際に皆さまからいただいたメッセージも展示されます。
笑顔の敏子に会いにいらっしゃいませんか?

『透明なリアル』

2005年4月6日~7月4日

岡本太郎にこんな写実的な絵があることはほとんど知られていない。戦後のアバンギャルドとしての激烈な闘いの中では、こういう面は出す余地もなかったし、それに対する郷愁もなかったようだ。 だが、酒の席などで戯れに人の顔を描いたりするとき、その筆の動きの自在さに目を見はる。鋭く、 デリケートな線。瞬時に対象の本質を掴みとって、 時に対象以上のその人が現れる、眼の適確さには驚かされた。
ここに展示したドローイングはそれに類するものが多い。展覧会のためや、人に見せる為に描いた ものではない。だが少しもだれていない。格調の高さ、気品、これは岡本太郎本来のもの。 眠る兵士にそそがれている眼の優しさ。透明感。 抽象的な激しい絵も凄いけれど、もっとこういう絵も見せて貰いたかった、とひそかに思う。

『明日の神話』

2005年1月5日~4月4日

私がホテル・デ・メヒコに描いた壁画は『明日の神話』と題する。画面の中央には骸骨が炎をふいて燃え上がっている絵である。みな感動する。燃えている骸骨に、不吉とか嫌悪感を示す人は一人もいなかった。メキシコだからこそ、私もああいう絵を描いたのだが。この風土の伝統の深さをつくづくと思い知らされるのである。

『憂愁』

2004年10月6日~12月27日

処女作には、その人のすべてがあるという。岡本太郎、22才の作『空間』。ほとんど処女作といっていいこの作品には、青春のリリカルな憂愁が凝縮されている。
そして、戦後の第一作『憂愁』
心空しい時、ハタハタと鳴る
わが悲しみのあかし 旗
右から左のこめかみにかけて、
一旒──また一旒  ………
という詩のついた。
それから対極主義を唱え、果敢に社会に挑み続けた太郎。勇ましい、激しい戦士のイメージが強い。しかしその底には、いつまでもこのようなデリケートで憂いをたたえた、優しい無垢な資質が、基調音のように通底していた。ここにも。

『対極』

2004年7月7日~10月4日

対極は岡本太郎の芸術論であり、生き方そのものでもある。
二つの極に引き裂かれてある。これは青春期の太郎のなまなましい実感であった。彼は憂悶し、絶望する。
だがやがて彼は、引き裂かれてあることをもっと意思的に引き裂くこと、あらゆる生の場で、方法にまで深めることで、それを乗り超える。
岡本太郎は対極と化したのだ。

『予感』

2004年4月7日~7月5日

予感は漠然として、形のないものだと思っている人が多いかもしれない。
だが岡本太郎の予感には、明確な形がある。リリカルに彩られている。
ただ、そこにはらまれているドラマは未だ現われていない、別の次元の言葉で語られている。
あの太郎の眼を見ひらいて、彼はそれを身体の内にとり込む。
予兆のおののき。--- さあ、それを感じとって、彼とともに跳んでほしい。

写真展 『神秘』

2004年1月5日~4月5日

岡本太郎の写真は、ただ眼に見える対象を写しとっているのではない。その現象の本質、深い存在感の根源を見透している。
そして彼にはシャーマン的資質があった。
何でもないようなものに、神秘を感得してふるえあがる。
内藤正敏さんは民俗学の学究であり、山伏の修行もした宗教家であり、そして優れた写真家だ。この人が岡本太郎の写真に惚れ込んで、暗室にこもりきり、岡本太郎がシャッターを押したときに感じとっていたものを、是非焼いて見せたいと、寝食を忘れて没頭してくれた。
希有のコラボレーション。写真史に残る、事件といっていい。

『悲しい動物』

2003年10月1日~12月27日

動物の眼は、なぜあんなに悲しいのだろう。
強いけれど、邪気のない、きっと見るその眼は、岡本太郎 そっくりだ。
哀愁。孤独。
だが雄々しく、ノーブルに、いのちをみなぎらせて。生きものは悲しい。

『ふたり』

2003年7月2日~9月29日

「女の見る世界と男の見る世界は違う」と岡本太郎は言う。まったく異ったポイントから世界を見ている。違うからこそ、惹かれあい、一体になるのだ、と。
雌雄同体であったはるか昔は別として、男と女という二つの性に分かれてから、いのちは何と多様に、複雑に、含み多いものになったことだろう。
岡本太郎 の 描く「ふたり」の世界は 激しく、ドラマチックだ。挑みあう緊張感。そこに極限のエロスが湧出する。

『壁画の原画2』

2003年4月2日~6月30日

岡本太郎の空間感覚は、日本人には珍しく、異様な冴えをはらんでいた。壁画でも、モニュメントでも、彼のイメージしているのはその単体ではない。それが場を占める全体、空間そのものなのだ。
エスキースとして描いているのは平面だが、実はそれは設計図にすぎにい。そのつもりで、一枚一枚、その空間のひろがりを夢想してみることは、あなたの想像力を試す凄いチャンスになるだろう。

『遊ぶ字2』

2003年1月5日~3月31日

真白な紙の上に、黒々と線を走らせる。そこになまなましく人間の生命感が躍動する。原始のエネルギーは混沌の発する力だ。
「書」には、絵を描くのとはまた違った喜びがある。だから私はよく筆を持つ。絵だか字だかわからないような字が、踊り出る。
象形文字である以上、意味があるに違いない。だが普通常識で考えているような、符号として限定された、約束ごとの意味ではない。瞬間的な衝動によって、ひらめき出る、内容と形との直結。
この宇宙・万象にみちみちたエネルギーがはしる線の生動とともに根源的に解放され、また凝結するのだ。

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Taro Okamoto Memorial Museum