弓指寛治 “饗 宴”

展示期間:2022年11月23日(水・祝)〜2023年3月21日(火・祝)

 

 

岡本太郎記念館はかつて太郎さんと敏子さんが住み、生活と制作をしていたところだ。

1996年に太郎さんが亡くなり、1998年に敏子さんによって開かれた場所になった。

その記念館にもう一度「生活」を立ち上げ、敏子さんや太郎さんが何を見ていたのか、

かつてここに居た人たちに思いを馳せる空間を用意したい。

 

弓指寛治はそう言います。

太郎と敏子の生活・・思い・・…。

重心はむしろ敏子にあるし、敏子をとおして太郎を見ている。

かつてないユニークな視点を引っさげ、ここ岡本太郎記念館に乗り込んできました。

 

「敏子さんが何を見ていたのか、どんなことを考えていたのか」「芸術や芸術家を後世に残すことって何なのか」……。

半世紀にわたって太郎と併走し、太郎没後は岡本芸術復活に向けて奔走したひとりの女性の人生をテーマにした弓指寛治の問いは、岡本太郎を美術史の視座とは異なるレイヤーでグリップしようとする試みであると同時に、この展覧会のコンセプトを支える創作動機そのものです。

 

2018年に岡本敏子賞を受賞した彼は、翌2019年に第1展示室で特別展示「太郎は戦場へ行った」を、2021年には庭で壁画「焼夷弾は街に一発も落ちない」を制作するなど、当記念館を舞台に岡本太郎と対峙する作品をつくりつづけてきた作家です。

本展は、これからを嘱望される若い感性が、斬新な視点で岡本太郎に挑むプロセスを記録したもの。これまでにない世界観が立ち現れるにちがいありません。

 

岡本太郎記念館館長 平野暁臣

 


 

リアルタイムの岡本太郎を知らないのでいろいろ調べてみたところ、昭和に大活躍し、TVにいっぱい出て、世間様から「変な文化人」枠にカテゴライズされ、平成にこの世を去った。残った岡本敏子さんは、太郎さんはそんなんじゃないから、と本を復刊したり美術館やTARO賞をつくったり、明日の神話を探したりして、令和に語られる僕の知っている「岡本太郎」のイメージが出来上がったんじゃないかと思う。

 

人は死ぬからいつかは忘れられていく。

運よく作品が残ることもあるけど、たとえ美術館に収蔵されたって、

ほとんどの作品はほぼ日の目を見ず眠り続ける。

 

岡本太郎はそうなっていない。

 

芸術や芸術家を後世に残すことって何なのか。

敏子さんがやろうとしたことは重要なことだと思う。

おかげで僕も今アーティストと名乗って活動できているし。

一方でそれが何なのかを言い表すのはむずかしい。

だから敏子さんが何を見ていたのか、どんなことを考えていたのか、

想像したり推測したりしてみたい。

 

弓指寛治

 


 

弓指寛治

名古屋学芸大学メディア造形学部映像メディア学科卒業、名古屋学芸大学大学院 メディア造形研究科修了。母親の死をきっかけに「自死」や「慰霊」をテーマとし創作活動を続けている。ゲンロンカオス*ラウンジ新芸術校(第一期生)にて金賞受賞。2017年、第21回 岡本太郎現代芸術賞(岡本敏子賞)受賞。2019年あいちトリエンナーレ招聘作家。2021年、VOCA展佳作賞受賞。