『舘鼻則孝 呪力の美学』

展示期間:2016年11月3日〜2017年3月5日

私にとって岡本太郎という人間は、まやかしとでも思い込みたくなるくらいに納得のいかない孤高の存在だ。太郎は生涯自らの手で作品を売らなかった。社会を拒むという行為自体が太郎にとって全力で社会へ干渉するとい う行為でもあった。聖地とも呼べる記念館で展覧会を開くということは、私にとってのプリミティブ・アートの 象徴とも言える太郎へのオマージュであり、過ぎ去ろうとしない時代を見つめ直す機会ともなった。自分自身に 〝マジナイ〟をかけ外界からの理解を拒んだ作品群をご覧いただきたい。

舘鼻則孝

 

 

世界が注目するアーティスト舘鼻則孝はまだ30歳を超えたばかり。卒業制作の〝ヒールレスシューズ〟がレディー・ガガの目にとまり、一躍アートシーンに躍り出たことで有名だが、単に才能があった、運が良かったと片づけるのは間違いだ。
世界に通用するファッションデザイナーになりたい。高校時代にそう決意した舘鼻は、東京藝大で染織を学び、「和装」の技術と思想を血肉化する道を選んだ。ふつうなら服飾専門学校を経て海外に飛び出すラインをイメージするところだが、あえて通例に背を向け、逆張りに自分を賭けたのだ。「どうすれば世界と闘う武器を手にできるか」を考えた末の行動だった。
高校生の頃からコムデギャルソンに通いつめて8年がかりでプレゼンテーションのチャンスをつかみ、ヒールレスシューズを売り込むために膨大なメールを世界中にばら撒いた。
舘鼻則孝を支えているのは創造的な野心であり、戦略的なヴィジョンと戦術的なアクションがそれを駆動している。メンタリティは「血ヘド吐いてもがんばります」型根性主義の対極にある。
ロジカルな思考と情熱的な行動。それが力の源泉なのだ。
岡本太郎もおなじだった。思いつきと衝動で動く〝芸術家肌〟の典型と思われがちだが、まったくちがう。パリ大学で哲学と民族学を学び、抽象芸術運動の胎動に立ち会った太郎の思考はきわめて論理的だ。太郎のすごいところは、考えるだけに終わらず自ら情熱的に行動したこと。太陽の塔を見ればわかるだろう。
世界を目指すために岡本太郎はパリに行き、舘鼻則孝は日本に残った。選択は真逆だが、腹のくくり方はおなじだ。常識や標準を疑い、己れの信念だけを頼りに針路をとると決めている。エンジンはプライドと絶対感だろう。
太郎との対峙にむけて舘鼻則孝がつくりあげた新作の数々をぜひご覧いただきたい。とりわけ創造的な世界に生きようとする若い世代に、彼の腕っぷしの強さを見て欲しい。
これからのクリエイティブを考えるうえで最良の〝生きた標本〟がここにいる。

岡本太郎記念館 館長 平野暁臣