現代アートシーンの風雲児がふたたび岡本太郎記念館をジャックします。
1952年、岡本太郎はモザイクタイルで『ダンス』を制作します。一点ものの油彩とちがってタイルなら何枚でもつくれるし屋外にも置ける。そうすれば芸術がもっと社会に入っていける。そう考えたのです。まさしくそれは岡本太郎の芸術思想を体現するものでした。
2023年10月〜11月、15年前に東京・渋谷駅に設置された《明日の神話》に対するはじめての大規模改修が行われました。数年掛かりで実施する改修計画の第Ⅰ期にあたる本年は、40日間をかけて全14枚のうち右から4枚を修復。この大作を次の世代に継承する取り組みがはじまったのです。
岡本太郎の公私にわたるパートナー・岡本敏子の手によりこの岡本太郎記念館が誕生したのは1998年5月。 太郎没後からわずか2年余りのことでした。 それから25年。当館は住宅規模の小さなミュージアムですが、太郎の息吹をいまに伝える高濃度の体感空間として、 多くの皆さまにご支持いただいています。 これまでに84本の企画展を実施し、延べ90万人の来館者をお迎えしました。
「描きたいと思ったときには出来てるの」。岡本敏子がよくそう言っていました。 エスキースを積み重ね、階段をのぼっていくように構想を固めていく一般的な作画プロセスとはまったく逆で、描きたいという衝動が湧きあがった段階で、岡本太郎の頭のなかにはほぼ完成形が立ちあがっているというのです。
岡本太郎記念館はかつて太郎さんと敏子さんが住み、生活と制作をしていたところだ。 1996年に太郎さんが亡くなり、1998年に敏子さんによって開かれた場所になった。 その記念館にもう一度「生活」を立ち上げ、敏子さんや太郎さんが何を見ていたのか、 かつてここに居た人たちに思いを馳せる空間を用意したい。
84年にわたる岡本太郎の芸術人生はもとより、 没後のさまざまなプロジェクトや20年を超える当記念館の活動を一覧します。 「岡本太郎の1世紀」をめぐるショート・トリップをどうぞお楽しみください。
“赤“ と “黒”。岡本絵画を象徴する色です。 「赤の中から生まれ、赤の中に生きているという感じがする」というほど幼い頃から“赤”が好きだった太郎は、戦後日本で活動を再開させるやセンセーショナルなデビューを果たしました。侘び寂びを尊ぶ“灰色の世界”にあえて強烈な原色をぶつけることで、日本の美術界を挑発したのです。
企画展『化け文字 〜書家・柿沼康二の挑戦状〜』を開催したのが2010年。このとき柿沼康二は、自身が“トランスワーク”と呼ぶ手法による公開制作で、「まえ」という2文字だけで壁一面を埋め尽くす、という前代未聞のパフォーマンスを見せてくれました。 さらに翌2011年には、岡本太郎生誕百年事業の一環として、太郎の言葉を書に作品化するプロジェクトを敢行。その成果が『TRANCE-MISSION』という書籍になります。 それから10年。ふたたび柿沼康二が記念館を舞台に唯一無比の表現に挑戦します。
顔は宇宙だ。 顔は自であり、他であり、全体なのだ。 そのど真ん中に眼がある。それは宇宙と一体の交流の穴。 世界の美のあらゆる層に、なんとさまざまの顔があり、また眼があるのだろう。 まん丸い眼、とがったの、凹んだ穴ぼこ、あらゆる眼がにらみ、 挑みあい、絶対をたしかめあう。 ひとつの顔の宇宙のなかに、また無限の顔、そして眼玉が光っている。 言いようのない実在感をもって。