『明日の神話』再生へ
岡本太郎が描いた幻の巨大壁画
2003年秋、長らく行方がわからなくなっていた岡本太郎作の巨大壁画『明日の神話』がメキシコシティ郊外で発見されました。
描かれているのは原爆が炸裂する悲劇の瞬間です。
しかしこの作品は単なる被害者の絵ではありません。
人は残酷な惨劇さえも誇らかに乗り越えることができる、そしてその先にこそ『明日の神話』が生まれるのだ、という岡本太郎の強いメッセージが込められているのです。
『太陽の塔』と同時期に制作され、“塔と対をなす”といわれるこの作品は、岡本太郎の最高傑作のひとつであり、岡本芸術の系譜のなかでも欠くべからざる極めて重要な作品です。
しかし、残念なことに、長年にわたって劣悪な環境に放置されていたため、作品は大きなダメージを負っていました。
そこで、当財団は、この作品を日本に移送し、修復した後に広く一般に公開する『明日の神話』再生プロジェクトを立ち上げました。
2006年6月には修復が完了、同年7月に汐留にて初めて行われた一般公開では、50日間という短期間の中で述べ200万人の入場者が集まりました。
後、作品は東京都現代美術館にて2007年4月から2008年6月まで公開され、2008年3月に渋谷に恒久設置することが決定、11月18日より渋谷マークシティー連絡通路内にて公開が始まりました。
多くの皆様に支えられ、『明日の神話再生プロジェクト』はようやく大きな節目を超えることができました。ほんとうにありがとうございました。
これからも『明日の神話』の物語は続きます。
引き続き御支援下さいますようお願い申し上げます。
『明日の神話』公開除幕式(2008 年11 月17 日)
渋谷駅連絡通路内の設置作業風景(2008 年10 月17 日)
『明日の神話』によせて
岡本敏子のメッセージ
『明日の神話』は原爆の炸裂する瞬間を描いた、岡本太郎の最大、最高の傑作である。
猛烈な破壊力を持つ凶悪なきのこ雲はむくむくと増殖し、その下で骸骨が燃えあがっている。悲惨な残酷な瞬間。
逃げまどう無辜の生きものたち。虫も魚も動物も、わらわらと画面の外に逃げ出そうと、健気に力をふりしぼっている。第五福竜丸は何も知らずに、死の灰を浴びながら鮪を引っ張っている。
中心に燃えあがる骸骨の背後にも、シルエットになって、亡者の行列が小さな炎を噴きあげながら無限に続いてゆく。その上に更に襲いかかる凶々しい黒い雲。
悲劇の世界だ。
だがこれはいわゆる原爆図のように、ただ惨めな、酷い、被害者の絵ではない。
燃えあがる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。巨大画面を圧してひろがる炎の舞の、優美とさえ言いたくなる鮮烈な赤。
にょきにょき増殖してゆくきのこ雲も、末端の方は生まれたばかりの赤ちゃんだから、無邪気な顔で、びっくりしたように下界を見つめている。
外に向かって激しく放射する構図。強烈な原色。画面全体が哄笑している。悲劇に負けていない。
あの凶々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、それと拮抗する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃えあがる。
タイトル『明日の神話』は象徴的だ。
その瞬間は、死と、破壊と、不毛だけをまき散らしたのではない。残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間、誇らかに『明日の神話』が生まれるのだ。
岡本太郎はそう信じた。この絵は彼の痛切なメッセージだ。絵でなければ表現できない、伝えられない、純一・透明な叫びだ。
この純粋さ。リリカルと言いたいほど切々と激しい。
二十一世紀は行方の見えない不安定な時代だ。テロ、報復、果てしない殺戮、核拡散、ウィルスは不気味にひろがり、地球は回復不能な破滅の道につき進んでいるように見える。こういう時代に、この絵が発するメッセージは強く、鋭い。
負けないぞ。絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。
明日の神話 再生プロジェクト
明日の神話 年表
1967 | 来日したメキシコ人実業家から、メキシコシティ中心部に建築中のホテルへの壁画制作を依頼される。 |
1968 | 渡墨。スーパーマーケットとして建築中の建物を転用した専用アトリエに入り、制作をはじめる。以後、大阪万博テーマ館の仕事の合間を塗って何度も渡墨し、制作を続ける。 |
1969 | ほぼ完成した壁画をホテルのロビーに仮設置。最終仕上げの段階を迎える。
依頼者の経営状況が悪化、ホテルは未完成のまま放置される。 その後、ホテルが人手に渡る。壁画は取り外され各地を転々とするうちに行方がわからなくなる。 |
2003 | メキシコシティ郊外の資材置き場にひっそりと保管されていた壁画を岡本敏子が確認する。 |
2004 | (財)岡本太郎記念現代芸術振興財団内に再生プロジェクト事務局が発足。壁画の移送・修復に向けた取り組みが本格的に始動する。 |
2005 | 壁画を日本へ移送。修復がはじまる |