開催予定・開催中の企画展
開催予定・開催中の企画展


《予感》とその時代
芸術は呪術である。岡本太郎がそう言ったのは1960年代半ばのことでした。


生命の樹―もうひとつの太陽の塔―
「《生命の樹》は太陽の塔の“血流”だ」。岡本太郎はそう言いました。生命の尊厳とエネルギーを象徴する《生命の樹》は太陽の塔と一体不可分であり、 “内蔵”をもつ“いきもの”として太陽の塔を構想したのです。
過去に開催した企画展

青山と70年
岡本太郎がこの地にアトリエを構えたのはいまから70年前、1954年5月のことでした。
ここは生まれてからパリに渡るまでを両親と過ごした大切な場所。ところが戦争から戻ると一面の麦畑で、家も、作品も、何もかもが空襲で失われていました。文字どおり裸一貫からの再出発を余儀なくされた太郎は、それでもくじけることなく戦後日本の美術界に斬り込んでいきます。


タローのダンス
1952年、岡本太郎はモザイクタイルで『ダンス』を制作します。一点ものの油彩とちがってタイルなら何枚でもつくれるし屋外にも置ける。そうすれば芸術がもっと社会に入っていける。そう考えたのです。まさしくそれは岡本太郎の芸術思想を体現するものでした。
展示詳細
《明日の神話》と《太陽の塔》
2023年10月〜11月、15年前に東京・渋谷駅に設置された《明日の神話》に対するはじめての大規模改修が行われました。数年掛かりで実施する改修計画の第Ⅰ期にあたる本年は、40日間をかけて全14枚のうち右から4枚を修復。この大作を次の世代に継承する取り組みがはじまったのです。
展示詳細
開館25周年記念「令和の蔵出し」
岡本太郎の公私にわたるパートナー・岡本敏子の手によりこの岡本太郎記念館が誕生したのは1998年5月。
太郎没後からわずか2年余りのことでした。
それから25年。当館は住宅規模の小さなミュージアムですが、太郎の息吹をいまに伝える高濃度の体感空間として、
多くの皆さまにご支持いただいています。
これまでに84本の企画展を実施し、延べ90万人の来館者をお迎えしました。

衝動の爪あと
「描きたいと思ったときには出来てるの」。岡本敏子がよくそう言っていました。
エスキースを積み重ね、階段をのぼっていくように構想を固めていく一般的な作画プロセスとはまったく逆で、
描きたいという衝動が湧きあがった段階で、岡本太郎の頭のなかにはほぼ完成形が立ちあがっているというのです。

弓指寛治 “饗 宴”
岡本太郎記念館はかつて太郎さんと敏子さんが住み、生活と制作をしていたところだ。
1996年に太郎さんが亡くなり、1998年に敏子さんによって開かれた場所になった。
その記念館にもう一度「生活」を立ち上げ、敏子さんや太郎さんが何を見ていたのか、
かつてここに居た人たちに思いを馳せる空間を用意したい。

岡本太郎の1世紀
84年にわたる岡本太郎の芸術人生はもとより、
没後のさまざまなプロジェクトや20年を超える当記念館の活動を一覧します。
「岡本太郎の1世紀」をめぐるショート・トリップをどうぞお楽しみください。

赤と黒
“赤“ と “黒”。岡本絵画を象徴する色です。
「赤の中から生まれ、赤の中に生きているという感じがする」というほど幼い頃から“赤”が好きだった太郎は、戦後日本で活動を再開させるやセンセーショナルなデビューを果たしました。侘び寂びを尊ぶ“灰色の世界”にあえて強烈な原色をぶつけることで、日本の美術界を挑発したのです。