開催予定・開催中の企画展
開催予定・開催中の企画展


《予感》とその時代
芸術は呪術である。岡本太郎がそう言ったのは1960年代半ばのことでした。
過去に開催した企画展

今がすべてだ!ー続・柿沼康二の挑戦状ー
企画展『化け文字 〜書家・柿沼康二の挑戦状〜』を開催したのが2010年。このとき柿沼康二は、自身が“トランスワーク”と呼ぶ手法による公開制作で、「まえ」という2文字だけで壁一面を埋め尽くす、という前代未聞のパフォーマンスを見せてくれました。
さらに翌2011年には、岡本太郎生誕百年事業の一環として、太郎の言葉を書に作品化するプロジェクトを敢行。その成果が『TRANCE-MISSION』という書籍になります。
それから10年。ふたたび柿沼康二が記念館を舞台に唯一無比の表現に挑戦します。

顔は宇宙だ。
顔は宇宙だ。
顔は自であり、他であり、全体なのだ。
そのど真ん中に眼がある。それは宇宙と一体の交流の穴。
世界の美のあらゆる層に、なんとさまざまの顔があり、また眼があるのだろう。
まん丸い眼、とがったの、凹んだ穴ぼこ、あらゆる眼がにらみ、
挑みあい、絶対をたしかめあう。
ひとつの顔の宇宙のなかに、また無限の顔、そして眼玉が光っている。
言いようのない実在感をもって。

暮らしのなかの芸術
「鯉のぼり、いいねえ。あんな大きな魚が空を泳ぐんだよ。凄いイマジネーションじゃないか。それも、ひとりの芸術家の創作じゃない。普通の民衆がみんなで自然に持っているイメージなんだ。世界中にひろめたいな」
そう考えていた岡本太郎は、自らも鯉のぼりをつくります。グリグリっと大きな眼、原色の鱗、生き生きと躍動的なフォルム…。いかにも太郎らしい、生きもののような鯉のぼりです。

対峙する眼
岡本太郎は“洋画家”としてキャリアをスタートさせたけれど、絵の内容は普通の洋画家とは大きく異なるものでした。風景画、人物画、静物画、裸婦画……など、一般的な西洋画題をまったく描いていないからです。
ではいったい太郎はなにを描いていたのか? 残念ながら、それがなにを表しているのかは、絵を見ただけではわかりません。ただ、ひとつだけはっきりしていることがあります。「眼」です。太郎の絵にはかならず眼が描かれている。しかも多くは複数の眼です。

岡本太郎の版画
芸術は、毎日の食べ物とおなじように、人間の生命にとって欠くことのできない絶対的な必要物。生活そのものであり、生きること。そう考えていた岡本太郎は、あらゆるチャネルを通じて、暮らしのなかに芸術を送り込んでいきました。その表現領域は、太陽の塔からネクタイピンまで、ありとあらゆるジャンルにおよんでいます。 特徴的なのは量産可能なマルチプル作品を積極的に送り出したこと。テーブル、イス、時計、ライター、バッグ、鯉のぼり、スキー、カップ、ネクタイ、スカーフ、トランプ……etc. 極めつけはウィスキー1本に1個ついてくる《顔のグラス》です。「キャリアに傷がつく」との周囲の反対を押し切って、太郎は喜んで「オマケ」をつくりました。
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日本の原影
岡本太郎は「日本とはなにか」を問いつづけた人でした。 日本で闘うことを決意してパリから戻った太郎は、1951年11月に運命の出会いを果たします。
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5億年後の生命体 河口洋一郎:beyond AI
「人類が存在しないかもしれない5億年後の未来を想像してみよう」CGアーティストの草分けとして70年代から世界を舞台に活躍してきた河口洋一郎はそう言います。
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太陽の芸術 ー岡本太郎のパブリックアートー
「芸術は太陽と同じだ。太陽は熱も光も、無限に与える。日なたぼっこしても、“おい、あったかかったろう。じゃ、いくら寄越せ”なんて、手を差し出したりしないだろ?」
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『瞬間瞬間に生きる ー岡本太郎とジャズー』
「オレは過去も無視して、未来も無視して生きている。現在この瞬間瞬間に爆発して生きるんだから」過去にすがらず、未来に甘えない。それが岡本太郎の生き方でした。
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