1952年、岡本太郎はモザイクタイルで『ダンス』を制作します。一点ものの油彩とちがってタイルなら何枚でもつくれるし屋外にも置ける。そうすれば芸術がもっと社会に入っていける。そう考えたのです。まさしくそれは岡本太郎の芸術思想を体現するものでした。
「女の見る世界と男の見る世界は違う」と岡本太郎は言う。まったく異ったポイントから世界を見ている。違うからこそ、惹かれあい、一体になるのだ、と。
岡本太郎の空間感覚は、日本人には珍しく、異様な冴えをはらんでいた。壁画でも、モニュメントでも、彼のイメージしているのはその単体ではない。
真白な紙の上に、黒々と線を走らせる。そこになまなましく人間の生命感が躍動する。原始のエネルギーは混沌の発する力だ。
原始のエネルギーは混沌の発する力だ。岡本太郎は明晰な論理の人でありながら、肉体の奥深くに、その渾沌を抱え持ち、聖なる神秘と同調するシャーマンでもあった。
無邪気に眼を見はって、太郎は世界を見る。深い共感。いのちの響きあい。
岡本太郎は火山が爆発するように憤った。まったく私怨を含まない、人間としての純粋な怒り。それは目ざましく、爽やかだった。
天才は両性具有だという。岡本太郎の常に挑戦するダイナミックな精神は、まさに男であり、「装える戦士」だったが、その内実にはデリケートで優しい、傷つきやすい、柔い心があった。
『にらめっこ』という言葉は軽いが、岡本太郎にとっては、眼と眼を見つめあうことは一番真剣な、いのちの交流の象徴的行為。いわば儀式なのだ。
岡本太郎のカメラ歴は長い。パリ時代、マン・レイやブラッサイ、キャパなど今の写真家たちが聞いたら息を呑むような巨匠たちと親しかった彼は、いつの間にか自分もカメラを手に とるようになった。