現代アートシーンの風雲児がふたたび岡本太郎記念館をジャックします。
動物の眼は、なぜあんなに悲しいのだろう。強いけれど、邪気のない、きっと見るその眼は、岡本太郎 そっくりだ。
「女の見る世界と男の見る世界は違う」と岡本太郎は言う。まったく異ったポイントから世界を見ている。違うからこそ、惹かれあい、一体になるのだ、と。
岡本太郎の空間感覚は、日本人には珍しく、異様な冴えをはらんでいた。壁画でも、モニュメントでも、彼のイメージしているのはその単体ではない。
真白な紙の上に、黒々と線を走らせる。そこになまなましく人間の生命感が躍動する。原始のエネルギーは混沌の発する力だ。
原始のエネルギーは混沌の発する力だ。岡本太郎は明晰な論理の人でありながら、肉体の奥深くに、その渾沌を抱え持ち、聖なる神秘と同調するシャーマンでもあった。
無邪気に眼を見はって、太郎は世界を見る。深い共感。いのちの響きあい。
岡本太郎は火山が爆発するように憤った。まったく私怨を含まない、人間としての純粋な怒り。それは目ざましく、爽やかだった。
天才は両性具有だという。岡本太郎の常に挑戦するダイナミックな精神は、まさに男であり、「装える戦士」だったが、その内実にはデリケートで優しい、傷つきやすい、柔い心があった。
『にらめっこ』という言葉は軽いが、岡本太郎にとっては、眼と眼を見つめあうことは一番真剣な、いのちの交流の象徴的行為。いわば儀式なのだ。