この人の写真はどこか太郎とおなじ匂いがする。
私がホテル・デ・メヒコに描いた壁画は『明日の神話』と題する。画面の中央には骸骨が炎をふいて燃え上がっている絵である。
処女作には、その人のすべてがあるという。岡本太郎、22才の作『空間』。ほとんど処女作といっていいこの作品には、青春のリリカルな憂愁が凝縮されている。
対極は岡本太郎の芸術論であり、生き方そのものでもある。二つの極に引き裂かれてある。これは青春期の太郎のなまなましい実感であった。
予感は漠然として、形のないものだと思っている人が多いかもしれない。だが岡本太郎の予感には、明確な形がある。リリカルに彩られている。
岡本太郎の写真は、ただ眼に見える対象を写しとっているのではない。その現象の本質、深い存在感の根源を見透している。そして彼にはシャーマン的資質があった。
動物の眼は、なぜあんなに悲しいのだろう。強いけれど、邪気のない、きっと見るその眼は、岡本太郎 そっくりだ。
「女の見る世界と男の見る世界は違う」と岡本太郎は言う。まったく異ったポイントから世界を見ている。違うからこそ、惹かれあい、一体になるのだ、と。
岡本太郎の空間感覚は、日本人には珍しく、異様な冴えをはらんでいた。壁画でも、モニュメントでも、彼のイメージしているのはその単体ではない。
真白な紙の上に、黒々と線を走らせる。そこになまなましく人間の生命感が躍動する。原始のエネルギーは混沌の発する力だ。